光悦の手紙公開 茶碗鑑賞会で好評
三輪さん熱く紹介
江戸時代初期の芸術家・本阿弥光悦(1558〜1637)が作陶した茶碗として、北古萩町の本行寺・無著庵(むちゃくあん)で茶碗鑑賞会を開いている吉田町在住の萩光悦研究家・三輪正知さんが、七月より鑑賞会に参加した人に光悦直筆の手紙を公開。
三輪さんは「光悦が実際に萩に来て作陶した可能性が手紙の文面から見て取れる。鑑賞会に参加した人からも好評です」と話している。公開している光悦の手紙は二通あり、いずれも三輪さん所有のもの。その一つは“三志”という人物に宛てた手紙で、「天気が穏やかになってきたので、今朝貴方に使者を遣わせたが、お出かけ中とのことでした」との文面。
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| 本阿弥光悦 九月吉日付消息 |
本阿弥光悦 十七日付三志様宛消息 |
もう一通は宛先不明だが、その文章を要約すると、光悦がある件について自分の意向を“新左”なる人物に確認したところ、“新左”から「そう思われるのならそのように進められたらどうですか」との返答を貰い、光悦は「大変喜ばしい」と報告している。二通はいずれも、人気テレビ番組の「開運!なんでも鑑定団」でおなじみの鑑定士・田中大さんが社長を務める京都の古美術商・思文閣が“光悦の手紙に間違いない”と鑑定した逸品で、三輪さんは三年ほど前に同社より購入。思文閣では“三志様”や“新左”に該当する人物は不明だとしている。「その二通に記されている“三志”と“新左”の名前に意味がある。二人こそ萩焼の始祖だ」と三輪さん。萩焼は慶長九年(1604)、朝鮮人の陶工・李勺光と李敬兄弟が萩城下に御用窯を築いたのが始まりとされているが、三輪さんは「李勺光は朝鮮の“高麗焼物細工累代家伝”の秘法を身につけていた窯大将的な立場で、その高麗焼の一つが三島茶碗。李勺光が三島の技法を習得していたことは容易に推測できる」とし、「出回っている三島茶碗の箱書きの中には三島のことを“三志様”と書かれたものもある」と説明。「手紙に登場する“三志様”というのは李勺光のことだと考えている。光悦の一連の茶碗にも三島の技法が見て取れ、李勺光を三島の先生として“三志様”と呼んでいたのではないか」と推論する。またもう一通にある“新左”について、三輪さんは「李勺光の子で萩焼の陶工たちを統率した山村新兵衛のこと。京都の楽家三代・吉兵衛を“吉左”とも呼んでいた光悦が、新兵衛を“新左”と呼ぶことは考えられる」との持論を披露。この二通とは別に光悦が陶工“たゑもん”なる人物が「萩焼の祖・李敬である」と指摘する三輪さん(既報)は、「“たゑもん”“三志様”“新左”がいずれも李敬、李勺光、新兵衛と仮定すれば、彼らと親交のあった光悦が萩に来て作品を焼いた可能性が高くなる」と力説、「光悦の時代は徳川の代。手紙であいまいな名前を使ったのは萩藩との関わりを隠すためかもしれない」と話す。茶碗鑑賞会では抹茶を振舞いながらこれら光悦の手紙を順番に公開。
参加費は一人五千円。
事前予約が必要。
申し込み・詳細は三輪さん(携帯090・8360・7843)まで。